2012年4月21日土曜日

三脚檣写真帖3


三脚檣写真帖3

三脚檣写真帖 (3)
Photo Album 03 (Figurehead 1)

 ようこそ三脚檣写真帖へ

 ここでは昔の軍艦の写真を中心に、普通の書籍やホームページでは取り上げないような、一風変わったものを集めてお目に掛けます。

 このページでは、帆船時代の名残とも言うべき艦首尾の飾りを集めてみました。まさにフィギュアヘッドそのものから、ペイントされたリボンくらいまで、様々に幅があります。
 20世紀初頭までは、特に大型艦で珍しくもなかった飾りですが、低い乾舷のモニターでは少なくなります。またフランスにはこれを施したものがほとんどなく、装甲艦時代のごく初期に見られるだけです。また、進水時にはこれを取り付けていても、完成時、就役時の写真では見えなくなっているものもあるので、たぶんに儀礼的な存在になっていたのでしょう。
 その名称もフィギュアヘッドから変わっているのか、はっきりとしません。いわゆる「像」はなくなっているわけですし、英文書籍ではデコレーションの語が使われてはいます。多分に総称だと思われますが。・・・確認してみます。



 イギリス装甲艦『エジンコート』(Agincourt 1865)の艦首

 是非カラーで見たいものの最右翼です。右舷側の黒っぽい動物はライオン、左舷側の白い動物はユニコーンです。左舷側に乗組員の姿が見える窪んだ場所は、艦首上甲板に装備された砲の砲門がある部分で、射界を開くために船体が切り取られたようになっています。反対舷側も同じように造られていますが、砲は1門だけで、側面を向いた砲門と合わせ、4つの砲門間を任意に移動して用いられました。

hush 薀蓄
 国章(正確には王家の紋章)の左右を飾る動物はサポーターと呼ばれ、紋章の構成要素の一つです。この艦の場合はイングランドのライオンとスコットランドのユニコーンで、国章の基本どおりです。
 エジンコートの完成した時代はヴィクトリア女王の時代で、1837年に改定されたものがそのまま使用されているようです。この改訂はヴィクトリア女王の即位に伴うもので、それまでの紋章の中央に置かれていたハンノヴァー王家の紋章を外したものになっております。これは同王国が女性への継承権を認めていなかったため、ジョージ1世以来の王位(最初は公位)を放棄したことによります。
 盾形の紋章の中央部は四分割されており、左上(ここが最上位とされておりますので)から時計回りに
1 イングランド王をあらわす赤地に金色の3匹の歩き姿のライオン
2 スコットランド王をあらわす金色の立ち姿のライオン
3 1と同じ
4 アイルランド王をあらわす青地に金色のハープ
 と、なっております。




 同じく『カレドニア』(Caledonia 1862) の艦首飾り

 『エジンコート』とはだいぶ意匠が異なり、剣やら槍やらがたくさん並んでいます。中央の楯に図案されているのは馬でしょうか、竜でしょうか。鋭さのまったくない艦首ですが、当時の木造戦列艦ですとこんなものです。


ここで、ネイティブのアメリカ人グループは、メリーランド州に住んでいる

hush 薀蓄
 カレドニアはスコットランドのローマ時代の呼び名です。
 このスコットランドの紋章はライオンなのですが、サポーターとして使用されていたユニコーンがシンボルとしてよく使われていました。そうすると、これはスコットランドのユニコーンとなるのですが、着色されているのが気になります。
 紋章と言うのは限られた色と図像で個人を示すものですから、その着色については厳しく規定されているからです。スコットランドのユニコーンは白色です。しかも、ユニコーンは純潔の象徴ですから、白色以外はありえず、他の動物と考えた方が良いのかも知れません。
 ドラゴンは、ウェールズが国旗に使用しておりますが、西洋では悪魔の一種と考えられており、東洋の龍とは随分と趣きが異なります。
 そのように考えていくと馬なのかも知れませんが、イギリスの紋章には余り登場しない動物なので判断を保留したいと思っております。




 同艦の艦尾

 こちらの図柄は『エジンコート』に似ていますが、基本は同じものでしょう。直下にある舵と繋がっている鎖は応急操舵用のもので、艦尾飾りの下あたりで固定されている部分を解放し、舵を操ります。装甲帯や艦尾回廊の様子もよく判ります。舵柱が装甲で防御されているのに注意。



 巡洋艦『ホウク』(Hawke 1891) の艦首

 戦列艦ほどハデではありませんが、なかなかのものです。突き出したブームは、水雷防御網展張用でしょう。この時代には艦全体を覆う、停泊時使用のものが一般的でした。網そのものは中央部にまとめられていて、必要に応じて艦首尾へ広げたようです。



 イギリスがオーストラリア警備艦隊用に建造した巡洋艦『カトゥーンバ』(Katoomba 1891)

 艦名はシドニーの西にある都市名で、地図には一応こう記されていますが、正しい発音は不明。おそらくアボリジニの地名でしょう。紋章の左右を守る動物は、土地柄を反映してカンガルーとエミューのようです。艦名リボンの下に見える開口は魚雷発射管。

hush 薀蓄
 現在のオーストラリアの国章は左にカンガルー、右にエミューと呼ばれる現生の鳥としては駝鳥に次ぐ大きさを持つオーストラリア特産の動物が描かれております。
 したがって、このイギリスの国章の左右に描かれている動物もそうであろうと思われます。ただ、気になるのは、左右が逆なのと国章にそっぽを向いていることです。これは紋章の構成としてはおかしなことです。
 そこで写真をよく見ますと、両方の動物の視線の先に紋章があるのに気付きます。この紋章の構成が、現代のオーストラリアの国章と似ています。

 オーストラリアの国章は6つに分割され、その上部に7稜星が描かれています。前者には国土を構成する6つの州の紋章が描かれ、後者の7稜は6州と1つの領土(ノーザン・テリトリー)を示しているそうです。
 州の紋章は異なっているものもありますが、左上に十字が位置する点や6分割されている点、さらに上方の花が7弁に見えることを勘案すると当時のオーストラリアの紋章と考えて良いのではないかと思います。
 イギリスは宗主国だから正面の良い場所は譲るが、サポーターは自分の紋章を保持するという構成なのかも知れません。
 なお、オーストラリアの国章は国名を書いたリボンを下部に持つフサアカシア(ミモザ)の枝に保持されており、この点でも写真は近似しております。




 王室ヨット『ヴィクトリア・アンド・アルバート』のフィギュアヘッド


どのような非再生可能とはどういう意味ですか?

 これもカラーじゃないのが残念ですが、博物館の保存品なので、カラー写真はどこかにあるかもしれません。ほとんど金ピカなだけでしょうけど。

hush 薀蓄
 艦名はヴィクトリア女王とその夫であるアルバートを意味しますが、この写真の紋章も左側が女王の右側がコンソート公アルバートのものでありましょう。
 アルバート公はサクス・コブルク・ゴータ家の出身ですので、その関係の紋だとは思いますが、最上位である左上の第1クォーターと呼ばれる部分にはイギリス王家の紋章が嵌め込まれています。




 砲身に彫り込まれた紋章の図案

 これは古い青銅砲に彫られていたものだそうですが、図案やラテン語だろう文言がはっきりと読めます。意味は、誰か読める人、教えてください。

hush 薀蓄
 これはイギリス王家の紋章ですが、現在のものと随分構成が異なります。基本的には1714年から1801年まで使用されたハンノヴァー王朝のものです。
 左上は2分割されており、左にイングランドの、右にスコットランドのライオンがついております。その右はフランス王家の百合の花(フラ・ダ・リ)で、百年戦争中の1340年ごろから同王位の継承権を主張したエドワード3世によって付け加えられました。
 この百合の花がなくなったのは1801年で、1800年にアイルランドが正式に連合王国に加入した事により460年振りに放棄されたものです。ただ、当時、ナポレオンがイギリス進攻を計画していると言われており、これを刺激したくなかったのが真相だとも言われます。
 その下はハンノヴァー公国の紋章で、ジョージ1世が持ち込んだものです。それまではこの位置に左上と同じものがありました。左下はアイルランドのハープですが、アイルランドのハープに女性像がくっついてますので、初期のものかも知れません。

 なお、この女性像は立派なおっぱいを持っていたのですが、この紋章ではかなり小さくなっております。ジョージ1世と言う人は王妃を幽閉して、代わりに2人の愛妾を連れてきて世間を驚かし、しかもその1人は異様に背が高く、もう1人はお世辞にも綺麗とは言えなかったと言われますので、その好みかも知れません。なお、この王は英語を解せず、政治に介入しなかった事から、君臨すれども統治せずというイギリスの議会民主主義の伝統が作られた事でも有名です。
 周囲を囲うのはガーター勲章で、フランス語で「思い邪なる者に災いあれ」を意味する Honi soit qui mal y pense と言う言葉が書かれております。リボンに描かれた Dieu et mon droit もフランス語で「神と我が正義」を意味し、イギリス王家の銘(モットー)です。

 フラ・ダ・リ fleur-de-lis は、直訳すれば百合の花ですが、実はアヤメ(イチハツ)。
 1147年以来、フランス、ブルボン王家の紋章となったとなっておりますが、1173年にルイ7世が十字軍の旗印に使用して広まったものです。これは、クローヴィスだったと思うのですが、軍勢が川を渡れずにいた時にイチハツの生えているのを見て、あれこそ浅瀬だ、さあ渡ろうとなった故事来歴がついていたと思います。
 これが百合になったのは、恐らくは聖母マリアの純潔を象徴する花だったからだと思われます。ただ、聖書に登場する百合は本来の百合ではないという話があり、12世紀の段階ではちょっと似ていたら何でも百合の花だったはずです。


ガイアナの2つの主要な都市は何ですか

 実際、19世紀までヨーロッパにあった百合と言うのは、貧相極まりないマドンナ・リリーただ一種でした。「受胎告知」と言うタイトルで描かれた各種の絵があるのですが、これにはお約束として聖母マリアの百合の花を書き入れる事になっております。ところが、どなたのを見てもスズランのようなちっちゃな花しか描かれていないのです。(スズランも谷間の百合と申しますね)
 ですから、日本産の百合が紹介された時には皆様が熱狂されたようで、カサブランカだとかスターゲーサーなんて言う品種に行き着くまでやっちゃったようであります。



ヤマパンスキー薀蓄
 「Dieu et mon droit」 (「God and my right=神と我が正義」のフランス語) は君主の銘 (motto) です。この言葉は国王リチャード一世が1198年にジゾーア (Gisors) の戦闘の前に選んだカウンターサイン(軍の合言葉)で、彼がフランスの家臣ではなく、その王権を神にのみ負っている者であることを意味しています。フランスはこの戦闘に敗れましたが、この合言葉がイングランドの王室の銘として採用されたのはヘンリー六世(1422-62)の時代になってからで、その後、彼の後継者によって維持されてきました。この銘は王室紋章の盾の下に表示されています。

 「Honi soit qui mal y pense」 (「Evil be to him who evil thinks=思い邪なる者に災いあれ」のフランス語) は、王室紋章の盾のまわりを取り囲むガーターに表示されています。このガーターはガーター勲章(女王が統治している騎士団の古代勲章)の象徴となっています。ガーター勲章はフランスとの百年戦争中の1348年にエドワード三世によって制定されました。
 この銘はフランスの王座を要求する君主の主張を批判する者に向けられたといってよいかもしれません。しかし、チューダー王朝の年代記作者によって最初に記録された伝承によれば、この銘は1347年にカレーの占領を祝う祝宴で最初に使用されたということです。国王の女教師、ソールズベリー伯爵夫人がダンスの最中にガーターを落として廷臣たちからひやかされると、エドワードがさっと前に進み出て、自分のひざのまわりの青いリボンを結び、叱責としてこの銘を口にして、「ガーターは間もなく最高の尊敬を得ることになるだろう」と宣言した、ということです。



 水雷艇搭載母艦『ヴァルカン』(Vulcan 1889)の艦首

 中央の紋章は前掲のものと異なりますが、『ヴィクトリア・アンド・アルバート』の向かって左側の部分に似ています。この艦は航空機搭載母艦(空母)の前駆とも言うべき存在で、航洋性や航続力に欠ける小型水雷艇を艦上に搭載し、艦隊決戦現場で急速に発進させる目的を持っていました。

hush 薀蓄
 紛う事なきイギリス王家の紋章です。
 (次の写真で)艦名板のLとCの上にある円形の物は、イングランドを表す薔薇の花のようです。




 同艦の艦尾

 紋章そのものは艦首側と同じに見えます。この艦も全周型の水雷防御網を装備していますが、ブームの格納方式は『ホウク』と異なります。これはそれぞれ艦ごとに独自のものだったようです。



 二等巡洋艦『マラソン』(Marathon 1888)の艦首

 紋章はなく、渦巻き型の飾りだけのようです。船体が白塗装だと、かなり印象が変わりますね。アンカーベッドから錨を落とすときに、ストックを利用して錨が船体から離れるような工夫がされています。下へ突き出したストックの下端に小さな枕部分があって、これでストックを支え、錨を上手く回転させながら落とすのでしょう。錨に引っ掛けられないように、舷窓に鉄格子が取り付けられています。


hush 薀蓄
 渦巻状の意匠の原型は葉薊とも呼ばれるアカンサスの葉で、ギリシャのパルテノンの円柱等に見られるものと一緒です。




 重装甲砲塔艦『ナイル』(Nile 1888)の艦尾

 中央にユニオンジャックを配したリボンの左右に、それぞれ艦名が記されているようです。名前が短いからでもあるのでしょう。同型艦『トラファルガー』のが見られると、比較できて面白いのですが。
 上甲板後端にあるのは救命浮標の投下装置。航海中はここに番兵が立っているはず。水兵が乗っているのは副錨ですね。この艦も全周型の水雷防御網を装備していますが、乾舷が低いために、支柱の取り付け部は吃水線にあります。



 重装甲砲塔艦『フッド』(Hood 1891)の艦首

 砲口栓のところで紹介した巡洋戦艦の先代にあたります。例のカラスと錨の図案は見当たらず、両側に肖像が浮き彫られているように見えます。中央の紋章の図案も独特です。

 これらのレリーフの素材は確認できませんが、おそらく木材を彫刻したものに塗装または金箔押ししているのでしょう。取り外してしまうこともあったようで、特定の時期以降、これが見えなくなっている艦もあります。出っ張っている部分は簡単に破損してしまいますから、補修などの手間はけっこう負担だったでしょうね。
 海水というのは、その中を移動する物体に対して、ほとんどヤスリのように働くんだそうです。自衛艦が舷側の艦名を消した理由のひとつが、その保守にあったというのもうなずける話です。

hush 薀蓄
 フッド家の紋章ではないのは確かですが、何かは分かりません。
 紋章学ではフレット Fret と呼ばれるもので、籠目の一部をあらわしており、イギリス特有のものだそうです。




 軍隊輸送艦『セラピス』(Serapis 1866)の艦首

 イギリスはインドなど海外植民地との間で、兵員を頻繁に行き来させており、そのために専用の輸送艦を建造していました。これはその中の1隻ですが、紋章部分は軍艦とかなり趣が異なります。



 汽帆装巡洋艦『ローリー』(Raleigh 1873)の艦首像

 もう、見事にフィギュアヘッドそのもので、この時代でもまだ実例が存在したわけです。モデルはサー・ウォルター・ローリーその人でしょうが、似てるかは何とも言えません。
 水兵の立っている場所は、『エジンコート』のそれと同じで砲の射界を広げるための窪みです。ご覧のようにバウ・スプリットの取り付け部分では、構造の幅がいくらもないのが判ります。またバウ・スプリットを支える索具などが、射線を遮っているのもご理解いただけるでしょう。戦闘時にはこれらを外したり緩めたりして破損を防いだのですが、結果帆柱が強度不足になるため、帆を張ったままでの戦闘はやり難くなります。
 この艦は、当時としてはかなりの快速艦であり、総帆を張った最良条件での帆走より汽走のほうが速かったので、戦闘時に帆を張る理由はなくなっていました。






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