光合成(こうごうせい、英: photosynthesis)は、主に植物や植物プランクトン、藻類など光合成色素をもつ生物が行う、光エネルギーを化学エネルギーに変換する生化学反応のことである[1]。光合成生物は光エネルギーを使って水と空気中の二酸化炭素から炭水化物(糖類:例えばショ糖やグルコースやデンプン)を合成している。また、光合成は水を分解する過程で生じた酸素を大気中に供給している。年間に地球上で固定される二酸化炭素は約1014kg、貯蔵されるエネルギーは1018kJと見積もられている[2]。
「光合成」という名称を初めて使ったのはアメリカの植物学者チャールズ・バーネス(1893年)である[3]。
かつては炭酸同化作用(たんさんどうかさよう)とも言ったが[4]現在はあまり使われない。
[編集] 光合成の発見
1648年にフランドルの医師であるヤン・ファン・ヘルモントは、鉢植えのヤナギに水だけを与えて成長させる実験を行った[5]。生育前と後では鉢植えの土の重量がほとんど変わらなかったため彼は「木の重量増加は水に由来する」と考えた。質量保存の法則が確立する1世紀も前のことであった。
1771年、イギリスの化学者および聖職者であるジョセフ・プリーストリーは、「植物はきれいな空気を出して空気を浄化している」と考えた。彼は、密閉したガラス瓶の中でロウソクを燃やして「汚れた空気」をつくり、そこにハッカとネズミを入れたものとネズミだけを入れたものを用意した。するとハッカを入れた方のネズミは生き続けたが、入れない方のネズミは数秒で気絶、その後死亡した。この実験結果を元に彼は「呼吸で汚れた空気を浄化する何かがある」と考えたのである。彼はその後1774年に酸素を発見し[3]、「脱フロギストン空気」と名付けた[2]。しかし、酸素の燃焼と呼吸での役割を解明したのはアントワーヌ・ラヴォアジエである。さらに、ラヴォアジエは酸素(oxygen)と二酸化炭素(carbon dioxide)の名付け親でもある。
1779年、ジョセフ・プリーストリーの発見に影響を受けたオランダの医師ヤン・インゲンホウスは、水草による実験を行った。当時、水草から発生する気体は「ふつうの空気」であると考えられていた。しかし、彼はこの気体を集めて火を入れてみたところ勢いよく燃える事を発見した。次に、日光の当たる場所と暗闇に置いた場合の水草を比べてみたところ、前者からは気体が発生したが、後者からは気体は発生しなかった。このような実験の結果から、彼は「植物の空気浄化能は葉の緑色部分であり、光の影響を受ける」ことを発見した。また彼は、火を燃やすことができる「きれいな空気」と植物を入れた容器を暗闇に置くと、その容器内の空気が燃焼が起きない「汚れた空気」に変わることも発見している。今で言う「呼吸」が起 こっていたのである。
1782年、スイスの司祭ジャン・セネビエは、当時「固定空気」(common air)と呼ばれていた二酸化炭素が光合成で取り込まれることを示し[2]、二酸化炭素は根から取り込むと考えた[3]。
1804年、同じくスイスのニコラス・テオドール・ド・ソシュールは、ジャン・セネビエの二酸化炭素は土から取り込まれるという考えに疑問を持ち、ソラマメを土ではなく小石の上で育てる実験を行った。するとソラマメは普通に育ったため、植物は空気から二酸化炭素を得ていることが分かった。また、植物の枝(使われたのはLonicera caprifolium、Prunus demestica、Ligustrum vulgare、Amygdalus persica の4種)を二酸化炭素を吸収する石灰と同封して育てたところ葉がすべて落ちてしまったことから、植物は二酸化炭素が無いと生きていけないことを発見した。さらに、有機物と酸素の総重量が植物が取り込んだ二酸化炭素の重量よりも大きいことも発見、光合成には水が必要であるとし、以下の式を導いた。(当時はまだ化学式が使われていなかったため言葉の式となっている)
- 二酸化炭素 + 水 → 植物の成長 + 酸素
1842年には、ドイツの物理学者ユリウス・ロベルト・フォン・マイヤーによって、光合成は「光エネルギーを化学エネルギーに変換している」ことがつきとめられた。
1862年、ドイツの植物生理学者ユリウス・フォン・ザックスは、葉緑体を顕微鏡で見たときに現れる白い粒は取り込まれた二酸化炭素に関係があるのではないかと考えた。彼は当時既に知られていたヨウ素デンプン反応を参考に、日光に十分当てた葉にヨウ素液をつけた。すると葉は紫色に変色した。この結果から彼は「植物は日光が当たると二酸化炭素を取り込んで葉緑体の中でデンプンを作り、それを使って生きている」ことを発見したのである。
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